暇な時間は映画を観ます

映画について語ります

ミリオンダラー・ベイビー(2004年)

『ミリオンダラー・バイビー』(2004)

原題:Million Dollar Baby

女性ボクサーを夢見るマギーは、ボクシングジムを運営するダンの元へ弟子入りを志願します。しかし、ダンは拒絶。それでもマギーは諦めずダンの言いつけを守るという約束で彼の特訓をこなします。メキメキと頭角を現していくマギーは、試合で勝ち続けます。そして女性ボクサー最強にして最悪の試合をする”ブルーベアー”との対決が彼女の運命を一変させます。

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IMDbより

 クリント・イーストウッドとともにこの映画を大きく支えるのは、モーガン・フリーマンが演じているエディ。エディは昔活躍したボクサーですが彼はけがにより今はボクシングジムの雑用係という役。彼がナレーションを務めていますが、それがまた切ない。

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 【※以下、ネタバレあり※】
【※未鑑賞の方は読まないことをオススメします!※】

 

 

 

 

 

 

この映画は、だたマギーがボクシング業界でスターダムにのし上がる映画ではありません。私はむしろ後半の方がかなり印象的でした。それは社会問題にもなっている、尊厳死安楽死問題です。

 

凶暴でルールを大きく無視し危険なゲームをすることで知られた”ブルーベアー”との試合で、彼女は頸椎を損傷する大けがを負ってしまいます。

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頸椎を損傷してしまったことにより、彼女はボクシングを続けるどころか、首から下が麻痺し寝たきりの生活になってしまいます。彼女の家族はマギーがボクシングで得た財産を横取りしようと、突然病室に現れては弁護士の持ってきた書類にサインするよう強制します。家族は彼女がこれまで築いてきたボクシングには何の興味も示さず、二度と姿を見せることもありませんでした。 

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そんな彼女に最期まで寄り添ったのは、トレーナーのダンだけでした。
しかし、彼女はダンに「人工呼吸器を外して欲しい」と、死を望みました。ダンは当然困惑し、できないと断固拒否します。次の日彼女は舌を自ら噛み切り、失血死で自殺しようとしました。

 マギーの印象的なセリフがあります。

「私は思い通りに生きた、その誇りを奪わないで」
「私の名前を呼ぶ人々の声が聞こえなくなるのが怖い」

マギーはこのような状況になっても、誇り高く高潔に自分の人生を生き抜こうとしていたのです。そんな彼女の姿と願いの強さを痛感したダンは、一度は断ったものの、マギーの自殺幇助に踏み切ります。

 

 この一連の流れは前半の痛々しくも力強いボクシングからは想像できないような展開で、衝撃的でした。

 

はたして、ダンのとった行動は良いことだったのでしょうか。これは明らかに、マギーを殺したという殺人と普通は考えられます。しかし、恐らく多くの人はダンに大きく共感し、ダンの決断を支持する人もいるのではないでしょうか。

死を望みつつも自ら死を選べない人に、他人が死を与えて良いのか。

死を与える人(ダン)の精神的ダメージは計り知れません。彼が教会に行き、神父さんに相談するシーンもありましたが、ダンは「神にまかせ、あなたは何もしなくて良い」という神父さんのアドバイスを結局無視する形となりました。

しかしダンは自分の中で納得し、人工呼吸器のチューブを抜きました。なぜ私がこう思ったのかというと、ダンが「モ・クシュラ」の意味を伝えたからです。

ダンにとってマギーはボクシングの教え子としてだけでなく、娘の身代わりとして大きな存在価値のある女性だったと考えられます。深い絆で結ばれた二人の終着点は、マギーがマギーらしく人生を生き抜くことだ、とダンは考えたのだと思います。

 

こんなにも悲しく切ない気持ちになった映画は久しぶりでした。クリント・イーストウッド巨匠の映画は、やはりメッセージ性が強く一筋縄では解釈できないなと感じました。後世に伝えていきたい映画になりました。

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